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強運の人(吉田茂)と運に見放された人(広田公毅)

 

   外務省入省は二人とも同期である。にもかかわらず先に総理大臣になったのは広田であった。時期が悪かった。戦時下であった。彼が最も唾棄していた東条英機以下六人の軍人達と一緒に、巣鴨プリズンで13階段の絞首刑台に立った。彼は一切の弁解をしなかった。勿論、文官としては彼のみ。にもかかわらず靖国神社に祀られたのである。戦争防止に努めながら、その努力に水をさし続けた軍人たちと共に処刑されるという運命に直面させられた広田。そしてそれを従容として受け入れ一切の弁解をしなかった平和主義者の広田。彼の生涯を、激動の昭和史と重ねながら抑制した筆致で克明にたどっているのは城山三郎著する「落日燃ゆ」。毎日出版文化賞・吉川英治文学賞受賞。
 

 皆さんご承知の通り靖国はお国の為に戦って亡くなった方々が祀られる神社である。そこにどうして文官の広田が祀られたのだろうか。彼の子孫も不思議がっている。不本意なのである。戦後総理になった吉田茂は強運であった。野党の余りにしつこい質問に思わずバカヤロウと叫んで、それが問題になり、いわゆるバカヤロウ解散した吉田茂。彼は戦後の社会不安で日本が揺れる中で長期政権を実現。五回にわたる組閣などで権力を行使し「ワンマン」と呼ばれた。サンフランシスコの講和条約では、ソ連や中国を含めた「全面講和」でなくアメリカなど資本主義諸国との「単独講和」の道をえらんだ。現在進行中のロシアのウクライナ戦争。更に領土拡張主義の中国を見る時、吉田総理の先見の確かさを今にして思う。戦後国葬された総理は彼しかいない。恐らく今後も出ないであろう。その国葬の模様をご覧になってください。
https://www.youtube.com/watch?v=bXIXUEbJY7w
 

NHK福岡放送局の前に彼の銅像がたって建ってるとのこと。著作権の関係でここに銅像の写真を載せられません。その代わり散々彼を苦しめた戦争へと猪突猛進した六人の死刑囚と共に撮られた写真を載せます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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