戻る(Return)

田中正造

 

 足尾鉱毒事件で農民の味方となり権力と激しく戦い続けました。

それまで6回も代議士に当選して次は衆院議長だと言われていたのに、そのポストを投げ捨てて反対運動に身を投じていく。被害地に住み込み、被害民と寝食を共にし、生死を共にすべきだと考えたのです。そのために代議士を辞めて、谷中村という村に住みこんでしまう。そういう純粋で一途な人でした。


 農民たちは鉱毒のせいで苦しみ、悲惨な思いをしながらどんどん死んでいきます。そんな村中をぼろぼろの菅笠を被り、首にずた袋を下げ、旅はだしという、乞食同然の格好で歩き回り、死の床についている農民の手を握って「よしよし、この正造がいつかきっと敵討ちしてやるからのう」と言ってやる。


 あるいはかつては政友であった大隈重信の家へ、野中村の鉱毒水をバケツに汲んで持って行き大隈が愛してる植木の根元にぶちまけて、「お前が毒がないと言うなら、問題ないだろう」なんて啖呵を切る。大臣のとこへ乗り込んで「毒水を飲め」とコップを差し出す(城山三郎著「少しだけ、無理をして生きる」より引用)

 

 

戻る(Return)

 

 

 

 

 

 

 

inserted by FC2 system