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キュリー夫人(1867〜1934)

物理学賞と化学賞のふたつのノーベル賞を受賞したポーランドのキュリー夫人、一人でふたつも受賞した人は他にいません。ちなみに、彼女の娘、イレーヌ・キュリーもノーベル 化学賞を受賞しています。私は、彼女の生涯を著した山本藤枝著の「キュリー夫人」(偕成社・児童伝記シリーズ)を一晩で読破しました。

 

彼女が育った時代、ポーランドはプルシャ(ドイツ)とロシアに分割され、ポーランド語は禁じられロシア語を強制され、国を失った国民の苦悩がありました。私は、息子の嫁さんがポーランド人であるだけに、その苦しみがわかります。あのちっぽけなジャポン(日本)が自分ら を支配していたロシアを破ったというので、彼らは日本を大した国だと言っていたそうです。世界でもっとも日本を愛する国はポーランドです。生まれ変わったら日本人になりたいと言う人もいるくらいです。

彼女は、マーニャと呼ばれた幼いときから勉強が大好きでした。女学校も一番の成績で卒業しました。それから六年間も家庭教師をしてお金を貯め、24歳でフランス・パリのソルボンヌ大学に入学しました。ポーランドから遥々出かけて来た貧しい女学生にとって、パリでの勉強は苦しいものでした。しかし彼女は眠る時間も惜しんで勉強しました。

26歳でソルボンヌ大学を卒業して、28歳でフランス人のピェール・キュリーと結婚。その後、夫と共にピッチブレンド鉱の調査、研究を始めました。34歳の時、ラジウムを発見し、その翌年にノーベル物理学賞を受賞、それから8年後にふたつめのノーベル化学賞を受賞しました。

1934年、長年のラジウム研究で受けた放射能が原因で、66歳で永眠しました。

 

昨日11月7日(2022年)は、放射線の研究に生涯を捧げたポーランド生まれの物理学者マリ・キュリーの誕生日でした。

“I have no dress except the one I wear every day. If you are going to be kind enough to give me one, please let it be practical and dark so that I can put it on afterwards to go to the laboratory.”
Marie Curie (1867-1934)

写真は16歳のマリ (マリア・スクウォドフスカ)

 

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